12人が語った共通の問い④ 「支援」とは何か
「今こそ動画だ」横割り編の最終回です。第1回は受容、第2回は得意で生きること、第3回は人に頼ることについて書きました。4つのテーマはすべて地続きで、受容にも得意で生きることにも人に頼ることにも、他者の存在が不可欠だという結論に至っています。ならば、その「他者による支え」を仕事として行っている人たちは、支援をどう捉えているのか。最終回では、支援を受けた当事者と支援を提供する側の言葉を突き合わせて、「支援とは何か」を考えます。
答えを渡さないということ
12人の中で、支援の本質について最も明確な定義を与えたのは岡田さんでした。「手を引っ張ってあげるんじゃなくて、隣を歩いてあげる、後ろからちょっと押してあげる、見守ってあげる」。支援を受けた側の人間がこう言っている。そしてこの定義は、支援する側の3人——味岡さん、小池さん、田村代表——の言葉と正確に対応しています。
味岡さんは「解決自体は私たちがするものではなくてご本人がするもの」と言い切っています。小池さんは「道を歩いたのはご本人」という感覚を常に持っている。田村代表は事業所を「コース料理ではなく町の定食屋」と表現し、決まったレールを歩かせるのではなく、何を不足しているか一緒に考えるスタンスを取っている。言い回しは3人とも違いますが、指している場所は同じです。答えを渡さない。本人が自分で歩く力を育てる。
岡田さんがこの結論に至ったのは、プログラミング講師としての経験からでもあります。答えばかり求めてくる生徒がいた。でも答えを教えてしまうと、最終的に仕事にならない。意地悪で教えないのではなく、自分で解決できるようになることがゴールだから。支援を受ける側と渡す側の両方を経験した岡田さんの言葉だからこそ、この定義には重みがあります。
する側も一人ではやれない
支援を受ける側に「一人で抱えるな」と言うなら、支援する側はどうなのか。ここでも答えは同じでした。
小池さんは、支援員になって間もない頃に利用者同士のトラブルを一人で抱え込み、先輩に相談するタイミングを逃して、結果的に利用者が辞めてしまった失敗を語っています。そこから得た教訓は「チームでやっているからこそ報連相が大事」。味岡さんも、支援員が育ちにくいという構造的な問題を挙げていました。支援員自身の心が安定していないと相手の支援にはつながらない。給料は低く、仕事は山のようにある。辞めていく仲間を見てきた。
第3回で「頼ることは弱さではなく技術だ」と書きましたが、それは支援する側にも当てはまります。小池さんの失敗は、支援者が「自分が何とかしなければ」と思い込んだ結果です。味岡さんが「私じゃなくて相手の方が大変だから」と言って残り続けられるのは、チームの中にいるからです。支援は属人的な献身ではなく、チームで回す仕組みの上にある。これが崩れると支援員が倒れ、結果として利用者が困ることになる。
届かなければ、ないのと同じ
もう一つ、12人の話を横に並べて浮かんだ論点があります。支援の質以前に、支援の存在が知られていないという問題です。
田村代表は、沖縄から神戸の事業所に電話がかかってきた話をしています。なぜ沖縄の人がわざわざ神戸に電話するのか。YouTubeで見たからです。地元に同じサービスがあることすら知らなかった。岡田さんも、サポートステーションの存在を知ってから実際に行くまでに何年もかかっている。知っていても行けなかった。田村代表のチラシの話——6枚持って来た人は、5回配っただけでは来なかった——は、「伝えたことと伝わったことは違う」「伝わってから動くのにも勇気がいる」ことを示しています。
岡崎さんの風神雷神チャンネルは、この問題に最も正面から向き合っている例かもしれません。対談の中で出た「港と外洋」という表現が象徴的です。当事者コミュニティの中で完結する発信は港の中。でも岡崎さんは外洋に出ている。健常者にとっては「知らねぇよ」という障害のことを、それでも毎日発信し続ける。高次脳機能障害は見た目でわからない。下半身不随なら想像できるから手を差し出してくれる。でも脳が壊れたとだけ言われても想像ができない。自分で説明すると胡散臭いと言われる。それでも「当事者代表として命ある限り続けていく」と言い切る岡崎さんの発信は、田村代表のYouTubeとは別の切り口で「届かなければないのと同じ」という問題に挑んでいます。
はせやんさんが自転車で全国を回りながら自助会を開催しているのも、この問題への一つの答えです。当事者が当事者のために場を作り、全国どこにでも出向いていく。プロの支援者ではないけれど、「話を聞いてもらえなかったり流されたりした経験」から、こういう場が必要だと思って始めた。田村代表が動画で発信し続けているのと、はせやんさんが自転車で走り続けているのは、手段は違えど同じ課題に向き合っています。
投資という言葉
田村代表は就労移行支援を「国による投資」と表現しました。税金で訓練を受けるのはもらいではなく、2年の投資に対してそれ以上のリターンを返すという構造なのだと。この言葉は冷たく聞こえるかもしれません。でも、利用者を「保護の対象」ではなく「社会の一員」として見ているからこそ出てくる言い方です。
岡田さんも同じ構造を別の角度から語っています。支援機関に通う中で気づいたのは、障害とか引きこもりとかいうカテゴライズはあまり関係なくて、結局は個人のことだということ。発達障害の方が自分の弱さにちゃんと向き合って対策しているのを見て、尊敬できると思った。支援される側が「かわいそうな人」ではなく「向き合っている人」として見える時、支援は投資と呼べるものになります。
味岡さんの「幸せに生きてほしいから」という一言は、この4回分の横割り編を貫くメッセージかもしれません。支援とは、相手が幸せに生きるための力を一緒に育てることです。答えを渡すことでも、代わりに歩くことでもない。
編集後記
4回にわたる横割り編を通して見えたのは、受容も、得意で生きることも、人に頼ることも、支援も、すべて同じ構造の上に乗っているということでした。一人では完結しない。他者が必要。でもその他者に頼ること自体が難しい。この循環を少しでも回しやすくするのが、支援であり、自助会であり、YouTubeの発信であり、自転車での旅なのだと思います。
全員が「自分の経験を次の誰かのために使いたい」と思っていることも、4回を通した発見でした。つかささんの自助会、はせやんさんの全国行脚、yu-kaさんの応援ソング、タカハシさんのYouTube、岡田さんの講師と支援、レン障さんの人と会う活動、味岡さんの居場所カフェの夢、小池さんの傾聴、田村代表の通訳、高木さんの写真、無職さんの生き方の発信、岡崎さんの風神雷神チャンネル。形は違えど、全員がアウトプットしている。苦しんだ経験を抱え込まず、誰かに届ける側に回っている。
シリーズはまだまだ続きます。次にこうして横に並べた時に、きっとまた新しい共通点が見えているはずです。一人で全部を解決する必要はない。でも、一歩を踏み出すきっかけは、誰かの言葉の中にあるかもしれません。