「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで」で人生初の正社員として働く岡田修一さん。大学中退後、アルバイトと引きこもりを繰り返し、30代後半に親へ「もう普通には働けないと思う」と打ち明けたことが転機になりました。サポステからめちゃコマへの道のり、プログラミング講師としての気づき、支援の本質まで深掘りしています。

インタビュー

岡田修一といいます。年齢は44歳で、出身は東京都です。今は埼玉県の東京都との境目みたいなところに住んでいます。最終学歴は大学中退になります。

趣味はゲームとボクシング観戦です。ゲームは日々のストレス発散で、毎日なるべくストレスを0にして次の日に行くようにしていて、そのためのツールとして使っています。友人と一緒にやっているので、コミュニケーションのツールにもなっています。ボクシングは、友達から井上尚弥というとんでもない選手がいると言われて見てみたら本当にとんでもなくて、そこから面白くなって他の日本人選手の試合も見るようになりました。

引きこもりになった経緯として、明確なきっかけはないんです。学校ですごくいじめられたとか、ブラック企業だったとかはなくて。もともとインドア派で、1人でゲームをやっている方が好きなのに、無理して周りに合わせることができてしまっていた。でもそれはやりたくないことを無理やりやっているわけで、しんどかった。人間関係にはずっと違和感を抱いていて、大学で大学生ノリに合わせるのがさらにしんどくなって中退しました。

その後アルバイトをやっていて、仕事はうまくやれていたんですけど、なぜか疲れるというのが続いて、お金が貯まったり区切りがつくと休んでしまう。働いて休んでを繰り返すうちに休む期間がだんだん長くなっていって、30代前半からもうほとんど何もできない状態になりました。30代後半まで引きこもり状態だったという感じです。

引きこもっている最中は、最初は何も考えずに無料のオンラインゲームをやっていたんですけど、年が経つごとにゲームをやっていない時間がめちゃくちゃ不安で。将来どうなるんだろうと思っているけど、怖くて動けない。今思うとめちゃくちゃしんどい心境でした。

37歳の頃に不安がピークに達して、親にそのまま相談しました。もう自分は30後半になるまで正社員経験もないし、普通の方法で就職できるとは思えない、どうすればいいのかわからないと。そうしたら親がちょっと考えてくれて、就職じゃなくてまず相談に行ってみようかと言ってくれた。相談ぐらいなら行けるかなという気持ちで、地域若者サポートステーションに1年くらい通うことになりました。親に相談したこと、そしてサポステで「引きこもりでも全然来ていいよ」という会社の方に出会えたこと。この二つが大きな転機でした。

現在は「株式会社ウチらめっちゃ細かいんで」、略してめちゃコマで、人生初の正社員として4年ほど働いています。主な肩書はプログラミング講師ですが、実際には事務や引きこもり関連のイベント出席など、幅広くやらせていただいています。今の満足度は10点中8.5くらい。仕事も給与も不満はなくて、残りの1.5はこれからの伸びしろと余白というイメージです。

めちゃコマのことを知ったのはサポステに通い始めて半年くらい経った頃です。引きこもりに理解のある場所ならもう一歩外に出られるんじゃないかと思って、「引きこもり 会社」でインターネット検索したら、ちょうど立ち上げ時期でニュースにたくさん載っていた。プログラミング講座の説明会に行ったのが最初の関わりです。1年くらいサポステと並行して勉強して、講座を終えた後に派遣のアルバイトをしていたら、ちょうどめちゃコマから講師の枠が空いたと声がかかった。奇跡のようなタイミングでした。

いろいろな方と関わる中で気づいたのは、障害とか引きこもりとかいうカテゴライズはあまり関係ないということです。発達障害の方は自分の弱さにちゃんと向き合って対策していて、格好いいな、尊敬できるなという方がたくさんいました。結局は個人のことなんだなと思います。ひとりで何とかしようと思わないでほしい。無理をしないでスモールステップでステップアップしていくのが、結局は一番の近道だと思います。

対談 再起の道のりと支援の本質

ーーー引きこもりになった経緯について、改めて詳しくお伺いしたいのですが。

周りに合わせることをうまくできていたんですけど、自分に合ったことじゃなかった。無理やり合わせていたんです。当時はそれが当たり前、それが普通だと思っていたので全然気づかなかった。でもずっと続けていたらしんどくなって、人づきあいが嫌になって、徐々に社会から離れていった。大学中退が一つの節目ですけど、そこからアルバイトと休みを繰り返すうちに、休む期間がどんどん長くなっていって、30代前半でそのまま止まったという感じです。

ーーーご両親に打ち明けた時のことをもう少し詳しく教えてください。

親からは日頃から仕事しろと言われていて、それがめちゃくちゃしんどかった。でも親の言うことが正しいのはわかっている。嘘をついて就活してるふうを装っていた時期もありました。でも30代後半になって焦りと不安の限界が来て、「もう自分が普通に働けるとは思えない、こんな自分を雇ってくれる会社があるとは思えない」とそのまま言ったんです。仲が悪かったわけじゃないけど、レールを外れた人間の気持ちなんかわからないだろうなと思っていた。でも話したら、ちゃんと一緒に考えてくれた。

ーーー言葉だけ見るとマイナスの相談ですよね。でもそこから前進につながった。

そうなんです。「本気を出せばできる」「面接さえ乗り越えれば働ける」みたいな謎の自信がずっとあったんですけど、それを一回捨てることができた。マイナスだったんですけど、ゼロに戻ったというか。認めたくなかったはずなのに、認めたらすごく楽になったんです。ゼロからやり直そうという気持ちになれました。

ーーーめちゃコマの講座は有料ですよね。お金を払ってスキルを身につけようと思ったきっかけは何ですか。

以前も何かしようと思ったことはあるんです。一人で稼ごうとアフィリエイトをやったりとか。でもすぐ辞めてしまう。ただその時とは心持ちが絶対に違うという変な自信がありました。講座を終わらせたら、プログラミングでなくてもどんな形にしろ絶対に働き始めようと決めていた。投資を回収するという気持ちも覚悟もあったから、勉強を最後まで続けられたし、講座の後もすぐアルバイトを始められました。

ーーーめちゃコマという会社について詳しく教えてください。

特徴は2つあります。まず、社長以外のスタッフが全員元引きこもり当事者で、当事者が主体となって運営している株式会社だということ。もう一つが完全リモートワークで、全員在宅で仕事をしていること。顔を見たことのないスタッフもいますけど、仕事として回っています。

ーーー株式会社ということは営利企業ですよね。雇用の形はどうなっていますか。

うちはステップ式でして、最初は業務委託から始まって、アルバイト、契約社員、正社員と上がっていきます。正社員になっても週5がしんどければ週4に戻してアルバイトに戻してもいいよという柔軟さがあります。正社員が7人くらい、全体で10人ぐらいですね。

ーーー「発達障害だからプログラミング」というのは解像度が低すぎると思っていて、実際のところどういうところが合っていたのでしょうか。

単純に勉強してみて面白いなと思った。それがほぼ全てだと思います。生徒さんにも絶対話しますけど、そこに興味を持てるかどうかが一番大事です。私の場合、頭で想像したものを実際に作っていて、エラーが必ず出るんですよ。そのエラーを解決する時にすごい新しい発見がある。だからダメだったのかと理屈がしっかりわかる瞬間が、一番楽しいですね。

ーーープログラミングができることと教えられることは別のスキルだと思います。教える方が好きだと思ったのは何がきっかけですか。

支援機関に通っていた頃に、他の利用者と9人くらいのチームでキャラクター制作をやったんです。やり遂げた時にめちゃくちゃ楽しくて、一人でやるより人と関わる方が好きなのかなと思った。それがきっかけで、エンジニアよりも講師をやりたいなと。ゲームでエラーの相談を受けてうまく伝えられていた経験もあって、向いているのかなとは感じていました。

ーーー講師として大変だったことはありますか。

答えばかりを求めてくる人がいて。でもプログラミングを身につけるって、答えを教えてもらうことじゃなくて、自分で解決できるようになることなんです。それをどう伝えるかはすごく考えました。別に意地悪で教えないわけじゃなくて、それをやっちゃうと最終的に仕事にならないから。じっくりやって、最終的には納得していただけました。

ーーー将来的にはどうなっていきたいですか。

講師というより支援の方を強くやりたいんです。引きこもっていた時、「引きこもり 40代」で検索するとろくな情報が出てこなくて、もう無理だ諦めろみたいな。でも実際はそうじゃなくて、何とかできた人間もいる。そういう情報があったら同じ環境の人の力になれるんじゃないかと思ったのがきっかけです。ただ、支援って助けてもらうことだと思っていたんですけど、実際はそうじゃない。自分で立ち上がって歩くための力を身につけることが支援だと思っています。手を引っ張ってあげるんじゃなくて、隣を歩いてあげる、後ろからちょっと押してあげる、見守ってあげる。そういうのが支援なのかなと。

ーーー人に頼る、相談するということについて、何か思うところはありますか。

実は支援機関のことは親に相談するだいぶ前から知っていました。でもなかなか行けなかった。私のきっかけって明確にないじゃないですか。いじめられたとかひどい目に遭ったとかがないのに引きこもっているということが、他の引きこもりの人に対しても負い目で、こんな自分が相談に行っていいのかなと思っていたんです。

ーーー今は相談を受ける側ですよね。来る人に対してどう思いますか。

来てくれることが単純に嬉しいんです。全然話がまとまってなくていい。私も最初は「なんかわからんけどしんどい」みたいな感じでした。まず来てくれたことがすごく大きな一歩なので。周りがどう思っていても、あなたが困っているのは事実なんだから、あなたのために来てくださいということをお伝えしたいです。

ーーー人に頼る時に何かを差し出さなきゃいけないという意識があるのですが。

何かを差し出す必要はないと思います。それを仕事としている人がいるので。ただ、支援員だって人間なんですよ。好き嫌いもあるし疲れることもある。お客様は神様です的な接し方を人にしていると、自分が仕事をする立場になった時に自分を追い詰めることになる。お互い敬意を持って接していただけると、より良い関係が続いていくんじゃないかなと思います。私自身、めちゃくちゃ人にお世話になることで、建前じゃなくて心の底から人に感謝することがやっとできるようになりました。すぐに何かを返せなくても、困った時には力になるよと一言添える。そういう気持ちは伝えていく必要があると思います。

編集後記

岡田さんの話を聞いていて最も刺さったのは、「認めたら楽になった」という言葉でした。「本気を出せばできる」「面接さえ乗り越えれば働ける」という謎の自信を何年も抱えたまま動けなかった。それを親に打ち明けて手放した瞬間、マイナスだったはずの状況がゼロに戻った。受容というのは後退に見えて実は前進なのだということを、岡田さん自身の歩みが証明しています。

もう一つ印象的だったのは、支援とは「助けてもらうことではなく、自分で歩く力を身につけること」だという話でした。引きこもり40代で検索してもろくな情報がなかった当時の自分。でも実際に何とかなれた。その経験があるからこそ、手を引っ張るのではなく隣を歩く支援という言葉に重みがあります。講師として「答えを教えない」ことの意味も、ここにつながっています。

引きこもりの明確なきっかけがないことが、相談に行くことへの負い目になっていたという話も見逃せません。いじめられたわけでもない、ひどい目に遭ったわけでもない。だから自分なんかが行っていいのかと。でも今は相談を受ける側として「全然まとまってなくていい、来てくれたことが嬉しい」と言い切れる。あの頃の自分に言えなかった言葉を、今は他の誰かに届けている。その変化の中に、岡田さんの再起の道のりがすべて詰まっていると感じました。