「今こそ動画だ」シリーズでは、障害や生きづらさと向き合いながらそれぞれの道を歩む方々にインタビューと対談を重ねています。ここまで12人の記事を書いてきた中で気づいたことがあります。聞いている質問が、似ている。そして返ってくる答えもまた、驚くほど重なる。シリーズはまだまだ続きますが、ここで一度立ち止まって、11人の言葉を横に並べてみます。共通する問いと答えを4つのテーマで読み解く横割り編、第1回は「受け入れる」ということについてです。
全員が「時間がかかった」と言っている
診断や障害をどう受け止めたか。この問いに対して、12人の答えは表面上バラバラに見えます。でも一つだけ、全員に共通していることがあります。知った瞬間に受け入れられた人は、一人もいなかったということです。
ただし「時間がかかった」の中身は、大きく3つに分かれます。
知ってから馴染むまでの助走
最も多かったのが、診断を受けてほっとしたけれど、そこから実際に自分のものとして腑に落ちるまでに年単位かかったという話です。つかささんは「数年間なかば渋々だった」と表現しました。行政のヒアリングで「無理してますよ」と言われてようやく自覚が芽生え、そこから手帳の取得、障害者雇用、自助会立ち上げと、少しずつ前に進んだ。はせやんさんも診断時は「ほっとした」と言っていますが、実際に生き方が変わったのは自転車で日本を回って当事者に出会ってからです。yu-kaさんも診断後1年間は同じ特性の人に出会えず、一人で抱えていました。
共通しているのは、診断は「入口」であって「到達点」ではないということ。そして全員、受容が進んだきっかけに他者の存在があるということです。つかささんなら行政の方、はせやんさんなら旅先の当事者、yu-kaさんなら就活キャンプで出会った先輩。一人で腑に落ちた人が、いません。
認めたくないものを手放す
岡田さんとタカハシさんは、受容の手前に「抵抗」がありました。
岡田さんは引きこもりの自分を長年認められなかった。明確なきっかけがない——いじめでもブラック企業でもない——からこそ、「本気を出せばできる」という謎の自信を捨てられなかった。37歳で親に「もう普通には働けない」と打ち明けた時、マイナスがゼロに戻ったと言います。つかささんの「渋々」が時間の経過で薄れていったのに対し、岡田さんの受容は一瞬のブレイクスルーでした。手放したのは能力への幻想であり、手放した瞬間に楽になった。
岡崎さんの抵抗はさらに長く続きました。17歳のバイク事故で脳挫傷になり半年間意識不明になったにもかかわらず、そこから16年間、自分が障害者だとは知らずに生きていた。33歳で高次脳機能障害と診断された後も「手帳も年金もいらない、ずっと普通や」と2~3年言い続けた。精神保健福祉手帳が届いた日には号泣した。五体満足で産んでくれた母親への「ごめんなさい」しかなかったと言います。ただ同時に、企業勤めが100社を超えていた自分の生きにくさに説明がついたことで、肩の荷が下りる思いもあった。岡田さんの「認めたら楽になった」と同じ構造ですが、岡崎さんの場合は抵抗の期間が圧倒的に長い。16年の空白に加え、診断後もさらに数年。それでも最終的に動けたのは、ケースワーカーという他者の存在があったからです。
タカハシさんは逆方向の抵抗を示しています。チック症をYouTubeのコンテンツにして9万人が見るまでになった。障害を「見せる」ことに踏み切れている。けれど同時に、健常者のコミュニティにも障害者のコミュニティにも属せない「狭間の障害者」としての苦しさを語っている。障害をコンテンツにすることと、障害を受け入れることは同じではない。これは岡田さんの「謎の自信」とは対照的な、受容の途上にある姿です。
受容のフレームに収まらない人たち
高木さん、無職さん、レン障さんの3人は、他の人とは入口が違います。
高木さんは52歳で突然文字が読めなくなった。生まれつきの特性ではなく、今まで当たり前にできていたことを失う経験です。落ち込んだ自覚はなく、元通りになるという凄まじいモチベーションで乗り切ったと言います。受け入れたというより、もともと得意なことだけで仕事を組み立てていた結果、失ったものが仕事の中核にたまたま含まれていなかった。受容よりも仕組みが先に立っていたケースです。
無職さんはADHDと言われているが手帳も診断も下りていない。受け入れるべき「障害」が確定していない状態で、やったことは「合わない場所から離れる」でした。銀行の事務は1週間で無理だと気づき、営業に出たらいけた。退職後は過集中を活かして動画編集に没頭する生活をしている。受容の対象が「障害」ではなく「環境との不一致」だったという点で、他の全員とアプローチが異なります。
レン障さんは6歳で診断を受けた最年少の当事者です。幼い頃から自分の障害を知っていたことは配慮を受けるメリットがあった反面、レッテルとのトレードオフだった。18歳で双極性障害とASDが加わった時の感想は「やっぱりな」。受容にかかる時間が最も短く見えますが、実際に心境が変わったのは似た人たちとの出会いがあってからです。ここだけは全員と共通しています。
編集後記
3つのパターンに分けましたが、レン障さんの話がそうであるように、最終的には全員が「人との出会い」を経由しています。受容は個人の内面の作業に見えて、実は他者が介在しないと進まない。一人で完結した人がいないという事実が、このテーマの一番の発見でした。シリーズはまだ続きます。人数が増えた頃に、またこうして横に並べてみるつもりです。次回の横割り編は「得意で生きる」と「苦手を手放す」について書きます。