障害者手帳を持つ自分自身を貸し出す「レンタル障害者」として、X(旧Twitter)で活動するレン障さん。21歳、埼玉県在住。6歳でADHDの診断を受け、18歳で双極性障害とASDが加わった。衝動性に振り回されながらも「人に会いたい」という気持ちを原動力に、ネタツイートから始まった活動を続けている。インタビューと対談で、レン障さんの考え方に迫ります。

インタビュー

レンタル障害者という名前でTwitterで活動しています。レンちゃんとかレン障とか略して呼んでくれる人が多いです。年齢は21歳で、埼玉県出身、今も埼玉に住んでいます。趣味は散歩で、いろんなところに出かけるんですけど、どの土地でも結構歩いています。いろんな景色を見ることで心が落ち着くんですよね。

精神障害者保健福祉手帳の2級を持っています。手帳を取得することになった精神障害は躁鬱、双極性障害Ⅱ型で、そのときにもう一つ、アスペルガーの診断名が増えました。もともと6歳のときにADHDと診断されていて、病院に何回も連れて行かれて検査をたくさんしたのは覚えています。「トム・クルーズとか有名な人も同じ障害を持っているから、気に病む必要はない」とやたら言われたんですけど、そこで「すごいんだ」と思ってしまったところはありますね。18歳くらいのときに精神科で躁鬱とASDが増えました。もともとそういう病気があるのは知っていたので、やっぱりなという気持ちです。その段階で結構開き直っていたので、心境の変化はあんまりないです。

躁の後ってすごく恥ずかしいんです。暴れちゃったことが恥ずかしいというのを、この先どうやって生きていくんだろうという気持ちだった。でも診断そのものよりも、似たような人たちとの出会いで結構変わっています。高校1年の冬に初めて一番大きい躁状態が来て、1ヶ月くらい続きました。あんまり言いたくないですけど「革命を起こす」みたいなことばかり言っていて、それが終わった頃に周りから「アレなんだったの」と言われるのが本当に苦しかった。でも衝動性で人に会いに行っていた中で、プロ奢ラレヤーとか、インターネットの有名人とか、そういう人たちと会ったんです。似た人がたくさんいて、そういう周期を10年とか繰り返しても全然普通に生きている人がいる。それを知って、大丈夫なんだなという納得というか諦めができるようになった。それが心境の変化ですかね。

子供の頃はもう暴れん坊で、ADHDの衝動性が強くて机の上を走り回っていたり、周りの子に迷惑をかけて暴力沙汰もありました。授業中に走り回って、外に出ちゃって席に着いていない。小中高でだんだん落ち着いてきてはいるんですけど。高校を卒業して、うちは18歳で家を出るというルールがあったので、卒業してまもなくシェアハウスに住んで、18歳から2年で7回くらい引っ越ししています。いろんなところを渡り歩きながら、放送大学に途中から入ろうかなと。

障害で困ることでいうと、衝動性で島巡りをしていたときに無人島を見つけてそこまで泳いでしまって。帰りのことを考えていなくて、片道で体力がもうやばい状況になった。手ぶらで山に入って日が暮れて遭難したこともあります。仕事でも困ることは多くて、コールセンターで働いていたとき、商材の売り文句に対して「これ嘘じゃないですか」と上司にいちいち詰めてしまう。法律的にグレーなところを突いて厄介者扱いされたり、どの職場でも馴染めないですね。

人生のターニングポイントは、高校生のときの躁状態だと思います。プロ奢ラレヤーとか知って、その辺の人たちに会ってから。中学の頃は自分のIQが高いというところで周りを見下していたんです。それが、全然違う軸を持って生きている人たちに会って、「お前のここがダメ」と言ってくれる大人に出会えた。優秀な同い年にも会って、すごく他責で生きていたのが、自己責任みたいな認識が徐々について変わっていったところですかね。

今は前職の貯金を切り崩しながら、友人からもらった不動産業の仕事を業務委託でやりつつ、依頼があればレンタル障害者として人と会っています。障害者手帳を持っているので、美術館では介助者と障害者が無料になったり、水族館だと割引になったりする。依頼の3〜4割は障害者手帳を利用した外出の依頼で、その他はただ会って散歩したり、喫茶店でしゃべりたいとか、YouTubeに出てほしいという依頼がいくつかあります。人と会うのが怖くないというのがあるのと、精神障害で躁鬱といっても発作が少ないタイプなので、できる理由かなと。

レンタル障害者としてインターネットで活動するという気持ちは一切なかったんです。仕事を辞めてからTwitterをいじりながらどんなツイートをしようかなと考えていたときに、レンタル何もしない人のツイートに寄せて投稿したら、有名なインフルエンサーが結構リツイートして。その時の気持ちとしては、ネタツイが炎上したくらいの感覚でした。

嬉しかったことでいうと、どの依頼も楽しいし、全然知らない人に高い寿司を奢ってもらったこともある。乙武さんに会って対談をしたので、こういうこともあるんだなと。困ったことは、遅刻してしまったり、キャンセル率が6〜7割と高いこと。依頼者で一番多いのが精神障害者なので、急に体調不良でキャンセルになる。ベトナム旅行中に依頼が入っていたから帰国したら、キャンセルになってインドに行っていてもよかったなとか。お金で考えると0に近いし、割に合っているかと言われると難しいんですけど、でも人に会えている方が自分には価値がある。向上したいという野心は結構あって、早いうちに弾けたいという気持ちはあります。

活動を通して伝えたいのは、人に会った方がいいということ。思春期を過ぎて人に会うことをしなかったら、ずっとひきこもっていた世界線があったなと思うんです。人に会うのがしんどいとか言い訳したい気持ちもあるだろうけど、他人は自分の鏡で、自分をより深く知れるし、数年ごしに会ったときに前との変化を教えてくれたりする。自分が数年前とどう変わったかって、自分だけではわからない。だから人にとにかく会ってほしい。5年以内に結婚して子供がほしいし、収入はちゃんとほしい。レンタル障害者を辞めていてもいいし、片手間に続けていてもいい。趣味だけでは中年以降続かないし、絶対寂しくなるラインが来る。日本じゃ死なないから、分厚いセーフティネットがある。ガンガン行った方が得なんじゃないかと思っています。

対談 人と会うための「レンタル障害者」

ーーーレンタル障害者という活動を始めた背景をお聞きしたいのですが、障害者手帳がついている自分自身を提供するサービスですよね。思いついたきっかけや、やるに至った背景はどのあたりにありますか。

炎上したから注目を集めたということでもあって、人に会う手段を探していたんです。自分の尊敬していたインフルエンサーも反応してくれたので、やろうかなと。

ーーー人に会う方法は他にもあると思うんですけど、あえてレンタル障害者というかたちでやろうと思った理由はどこにありますか。

東京にイベントバーとかがあるんですけど、やっぱりお金がかかるので。レンタル障害者ですと言えば「あーあれね」となるのがすごく楽だし、不審な人ではないという前提を相手が持ってくれているから、スタートが楽なんです。障害者として行っているんだから障害者然としていていい。相手もお金を払っているから連れ回すことに負い目を感じていないので、普通に友達を作るより気を遣うことが少ないと思います。

ーーーどんな依頼が多いですか。

もともと自分を貸し出しますというものなので、幅広くいろんなことをしたいと思っています。公序良俗に反するDMは断っていて、危険な目に遭ったことはないです。文章を見ただけでなんとなくわかるので。

ーーー他の人でレンタル障害者をやりたいという人がいたら、何かアドバイスはありますか。

結構やりたいってDMは来ていて、自分の障害がどうにもできていないのにやりたがる人には、本当に大丈夫?と心配になります。救われたいという動機でやろうとしている人がいたら特に。僕はいろんな人と会うのが怖くないけど、そもそも安全なものではないから、女性がやるのは心配かもしれません。手帳の貸し出しをツイートしちゃっている人もいて、それは良くないからやめてほしいとリプはしました。

ーーーレンタル障害者みたいなことを言ったときに否定的な反応は多いですか。

否定的な反応は多かったです。最近は落ち着いてきたけど、否定は9割くらい。いいと思うってあんまり言わないじゃないですか。DMで「地獄に落ちろ」とか来ることもある。

ーーー批判的な意見があること自体にどう思っていますか。

ぱっとツイートを見ただけだったり、ニュースを見たりしたら批判的な意見が出やすいのかなと思います。自分も批判側に回っていた可能性はあると思っているけど、実際やっている活動に悪いことはないので、別に気にしていないです。批判されているのは自分じゃなくてレンタル障害者だから傷つきもしない。身内とか近しい人に言われたら結構傷つくかもしれないけど、インターネットでリプをする人は僕のことを何も知らないわけで、そこをどうこう言われても何も感じられないですね。

ーーー「障害者手帳を悪用するな」という意見をよく見たんですけど、それは清く正しく使わないといけないという気持ちがあるからですよね。

綺麗な障害者を求められている感じはします。障害者だからきれいに慎ましく生きるとか、なんでそう思うんだろうっていう。もともとそういう手帳の使い方をしていた人はいっぱいいたし、自分がインターネットの目に触れやすいところに出しただけ。使いづらい、負い目があると感じていた人が使いやすくなったのであれば、いいことかなと思っています。

ーーーコミュニケーションに障害があったとしても、コミュニケーションをせずに生きていくのは無理だという結論にたどり着きまして。苦手かもしれないけど、うまく人とコミュニケーションを取っていい位置にいる方が大事だよねと思っています。

コミュニケーションに障害があるというよりは、コミュニケーションのリズムが合う層が一般的に多い層とちょっとずれているだけ。ちょうどいい人はいるから、試行回数を増やせばいいのかなと。どこかで合う人を見つけると、その人から派生した人間って大体ちょうどいいんですよ。選べるようになってくる。

ーーーつまりリズムを合わせにいっているわけじゃないんですね。

合わなくてもトラブルにはならないし、ただ関係が薄い、発展しなかったってだけ。久々に会った人に褒められたのが、「嫌なことがあってもその時は嫌ですって言うのに、次も来るよね」と。普通なら1〜2年来ないところを翌日でも遊びに来る。さっぱりしていていいよねと言われて。忘れちゃって別にいいやとなるんです。

ーーーそれはいいですね。僕は一生恨みますから。小5で言われた嫌なことを今同じ温度で思い出してイラっとします。

ーーー人と会うことの楽しみってどこにありますか。僕は別に会わなくてもいい派なんですけど。

いろんな価値観を知れることと、自分では全く考えたことなかったことを教えてもらえること。知識欲があって、知らないことを教えてくれる人にとにかく会いたい。久しぶりに会ったときに「こう変わったね」と教えてくれる人をたくさん作っておくために会うというところかな。

ーーー僕ら発達障害は人に頼らないと生きていけない部分がある。でもその頼り方に障害を抱えていると思っていて。1人の人に依存してしまう人って結構いますよね。その人の機嫌を損ねたらもう終わりみたいな。

別に切れてもいいやって人がたくさんいた方が楽だし、健全な関係を作りやすい。親以外に頼れる人がいないと、価値観を変える人に出会うのが難しくなる。親が一番大きな部分を占めていると苦しいかなって思います。

ーーー人の輪を広げるときに、おすすめの方法はありますか。

イベントバーに行くとかもあるけど、親って頼りやすいから、精神的コストがかからない人がずっと近くにいる状態はあまりよくない。僕はよく道に迷うんですけど、そのへんの人に「駅ってどっちですか」と聞ける。調べればわかることを人に聞けるんだなという自認を持つことが大事で、そういう小さな依存先をいくらでも持つということですね。親のせいにする、されるの関係性が和らいだくらいで子供は大人になるのかなと思っていて、早めに一人暮らしをするとか、海外に行ってみるとか。許せるラインが増えるのは、いろんな経験を得ることなのかなと思います。

ーーー小さい頃から自分は発達障害であることを分かっていた人として、それは良かったと思いますか。

良かったと思います。小学校に「なかよし」みたいな名前の通級がふたつあって、一時期通っていました。配慮を受けられるメリットはあった一方で、レッテルが貼られるのとトレードオフだったとは思うけど、しんどい教室から離れて行ける場所があったのは良かった。高校でもずっと教室にいなきゃいけないという意識がなくて、ふらっと図書館に行っちゃったりしていました。

ーーー次に働くにあたって、これに気をつけようというところはありますか。

自分でちゃんとやりきるところと、継続。動画をやるとかドローンをやると言っても、軌道に乗るまでやったことがない。やりきる成功体験を積み重ねたら違うのかもしれないですね。

編集後記

レン障さんの話を聞いていて、自分とは対照的だなと感じる場面が多かったです。私は人と会わなくても平気なタイプですが、レン障さんは人と会うことに価値を見出していて、それが活動の原動力になっている。ネタツイートの炎上から始まったレンタル障害者という活動も、本人にとっては人に会うための手段であって、注目を集めたいわけではない。そこに一貫した軸がありました。

対談の中でレン障さんが言っていた「コミュニケーションに障害があるのではなくて、リズムの合う層がずれているだけ」という言葉は、発達障害のコミュニケーション問題を考える上でわかりやすい整理だと思いました。合わない人に無理に合わせるのではなく、試行回数を増やして合う人を見つければいい。その過程で傷ついても翌日には忘れて遊びに行ける。それは特性ゆえの強さでもあるのだろうと思います。

否定的な意見に対する受け止め方も印象的でした。批判されているのは自分ではなくレンタル障害者というペルソナだから傷つかない、と切り分けている。21歳でこの線引きができるのは、幼少期からの診断や、さまざまな人との出会いを経て身につけたものなのかもしれません。「清い障害者像」を求める声に対して、もともとそういう使い方をしている人はいた、自分は目に触れやすいところに出しただけだ、というスタンスも淡々としていました。

依存先を分散させるという話は、発達障害に限らず多くの人に当てはまるテーマです。親は頼りやすいからこそ、そこだけに依存する構造は危うい。小さな依存先を増やす、道を聞くくらいのことから始める。そういう地道な積み重ねが、自立への足がかりになるのだと、レン障さんの話を通して感じました。