名古屋市でワンちゃん専門のフォトスタジオ「スタジオドッグラン」を経営する高木さん。52歳で脳出血を経験し、高次脳機能障害で文字の読み書きが苦手になりながらも、得意なことだけで仕事を組み立てるという考え方で事業を続けてきました。1月の火災という新たな困難にも向き合う高木さんの話を、インタビューと対談でお届けします。
インタビュー
高木義明、57歳です。愛知県名古屋の出身で、今も名古屋市に住んでいます。大学は岡山商科大学の産業経営学科を出ました。趣味はオートバイのツーリングですね。風を切りながら自分で操る楽しさと、好きなところに飛んでいける自由さが大好きです。
障害としては高次脳機能障害で、読み書きが苦手になったというのが一番大きいですね。それ以外にも浅く広く軽い脳の障害があって、怒りのコントロールが難しくなったりと、いろいろ抱えています。手帳は持っていません。取れたらいいなとは思うんですけど、程度的に今はその流れがないですね。
52歳の時でした。自分では流暢に喋れているつもりなのに、文字がまったく読めなくなって、何が起きているかわからないという状態で緊急入院しました。数日後に高次脳機能障害と言われたんですが、それよりもCTを受けた日のうちに脳出血と診断されたこと、文字が読めないという現実とその診断が重なったのが衝撃的でしたね。
ただ、心持ちとしては落ち込んだ自覚がないんです。むしろ障害を受けた後の方が、復活するんだ、元通りになるんだというモチベーションがものすごく高かった。凄まじくポジティブな気持ちを持つという方向でしたね、直後は。
私はワンちゃんに特化した写真館のカメラマンでオーナーです。お店はトリミングサロンも一緒にやりながら、室内のドッグランをメインにしたドッグカフェもやっている、そんなお店なんですよね。もともと健常だった時から、得意なことばかりをやって生きていこうという方向性で仕事を組み立てていました。たまたまというか、結果として高次脳機能障害で文字の読み書きが苦手になっても仕事が続けてこられたのは、大変ラッキーだった面がありますね。
父が立ち上げた製造業の会社があって、そこを継ぐつもりで大学卒業後に外で5年ほど働いた後、父の会社に入りました。ところがバブルもはじけて、10年ほどかけて会社がだんだんダメになっていった。会社を潰してもいい、潰さなくてもいいという状況になった時に、法人格を活かして自分のやりたかった仕事をやろうと。好きなことでしか食べていけないだろうということで、娘も2人いたし住宅ローンもあった中で、好きなことでこそ頑張っていきたいという思いで今の商売を始めたのが2005年ですね。
人生にとって一番大事なものって何だろうと考えた時に、私は思い出だと定義づけています。撮った写真そのものが思い出というよりも、写真が残っていくことが思い出を作ってきた証であって、何年も前の写真を見返す時に、当時の思い出が鮮やかに蘇る。写真というのは、思い出の扉を開けるためのドアノブだと、ずっと前から思っているんですよね。
今日も午前中に撮影が1本あったんですけど、10年も15年も毎年撮らせていただけるお客様がいるんです。お子さんが生まれたり、数が増えたり、奥様のお腹が大きいタイミングもある。時には初めてのデートのカップルが犬を連れてうちに来る。そんな歴史に寄り添わせていただけることが、とても嬉しいですね。
今がまさに一番大変な時期です。1月に火災に遭いまして、ドッグランもドッグカフェもまったく営業ができていない状態で、撮影の数も激減しています。トリミングサロンはほぼ変わらず営業できているんですけれども、この状態は精神的にものすごく辛いですね。過去に新しい商売を始めた時や脳出血を負った時は、前しか見ていなかった。モチベーションも高かったので、辛さを自覚しなかった。ところが今は、自分の役割が終わってしまったんじゃないかとか、お客様から評価されないんじゃないかとか、商売が復活していけるのだろうかという不安がある。精神的にも経済的にも、これほど苦しい時期は過去の人生においてなかったですね。
スタジオドッグランを、まず元通り、あるいは元通り以上に復活させたい。吹き抜けになっている部分も床にして、犬の幼稚園をやったり、若い人に事業を受け継いでいただいたり。私の志が残って、この事業が継承されていく形を一番夢に思っています。できれば一生ワンちゃんを撮り続ける。幸せな家族を撮り続けるということは、一生やめたくないと思っています。
障害を負った直後は、カメラのシャッター速度の数字が読めない、絞りの数字が読めないというところまでひどくなっていたんですけど、数ヶ月で操作に関してはほぼ完全に復旧しました。どんな障害を持っている人でも、好きなこと、得意なことって必ずあると思うんですよ。それを活かして人の役に立てるとか、お金にしていく。皆さんが思っている以上にそれは可能なんじゃないかな。チャレンジしていただきたい、試していただきたいと思います。
対談 得意なことだけで生きていく
ーーー発達障害と高次脳機能障害は似ている部分があると思っているんですが、一番違うのは、発達の人は生まれつきできない障害で、高次脳機能障害の人は今まで何も考えずにできていたことが急にできなくなるというところ。その「失う」経験についてお伺いしたいんです。
最初は何が起きているかわからなかったですね。私は倒れてはいないんですよ。軽い頭痛を感じて、いきなりパソコンを開いても映画や写真は今まで通り見えるのに、文字という文字がまるで認識できない。これはきっとWindowsの設定が狂ってトルコ語か何かに変わったんじゃないかと。設定を直さなきゃと思うんだけど直し方もわからないという状態でした。
脳出血や脳梗塞の人がよく言うのは、いきなり言葉のわからない海外に放り込まれたみたいだということ。私自身も、耳から聞いて口から喋る分にはまったく変わらないのに、目から入る文字情報と自分で書く文字情報において、いきなりすべての文字を奪われた感覚でしたね。一文字一文字を読むのに、健常な方とは比較にならないほど多くの脳のリソースを使うんです。
ーーーカメラの操作はどうされていたんですか。
本当の最初は、絞りの数字もシャッター速度の数字もまったくわからない状態で、文字通り手探りで撮影していました。指が覚えているという感じですね。それでなんとか撮影はできていたのかなと。
ーーーインタビューの質問もPDFで送っていたと思うんですけど、どうやって読まれたんですか。
普段からやっていることなんですけど、PDFであればマウスでコピペして、Google翻訳で音声読み上げをしてもらって耳から入れる。さらにプリントアウトして、店長に読んでもらって事前に準備するということができています。文字が画像になっていてコピペできないと困りますね。LINEも音声にするのにアプリを使いこなせていない部分もあったりして。
ーーーお客さんには障害のことを伝えていらっしゃいますか。
隠してはいないですね。言っているお客さんと言っていないお客さんがいて、知らないまま帰っていくお客さんもいます。それは仕事に支障がないように全体を組み立てているからで、お客様に写真を選んでいただいて、ファイル番号をお客様自身がメモして、そのメモ用紙を私が店長に渡して、店長がプリントするというルーティンワーク。普段は本当に文字を読まなくても回っていく形でやっています。
もともと字を書くのが得意じゃなかったので、できればそれをやらずに生きていきたいと思ってサービス内容も作っていたくらいで。現実問題としては妻のサポートがあったからこそ、会社としても私自身もカメラマンとして続けてこられたのは間違いないですね。
ーーー障害を負う前から組み立てていた仕組みが、結果として高次脳機能障害に備えていたという話をされていましたけど、具体的にどんな仕組みだったんですか。
もともと得意なことばかりをやって仕事が回っていくように組み立てていたんです。犬が好き、カメラが好き。幼い頃からカメラを持っていた。それがあって今の商売を立ち上げてきた中で、文字の読み書きが苦手になっても結果として仕事を続けることが可能になった。お客様と対面で口頭でコミュニケーションを取る、ワンちゃんとコミュニケーションを取る、撮影をする。そこに文字の読み書きが必要な部分はもちろんありましたけど、とても少なかったのは間違いないですね。
ーーー理想論かもしれないけど、意図していないのに相手を傷つけてしまうことがあるなら、傷つかない相手と仕事をする、事前にわかっておいてもらうという環境づくりが大事だと。それを聞くと到達点のように感じてしまうんですけど、最初からそこにいたわけではないですよね。
今は夢物語のようなことがたまたま私にできているという部分があると思います。20年前の私も、簡単にできるとは思っていなかった。どうしたかというと、試したんです。以前の仕事がダメになっていく中で写真で身を立てていこうと。最初はカメラマンとして何をやってもよかったんですけど、犬が好きという現実の中で、当時お客さんとして通っていたドッグランで撮った写真をプリントしてオーナーに見せたんですよ。この写真売れるでしょうかって。その時に「売れるよ、やってみたら」と言っていただけた。そこから10日間ほど撮りためた写真で写真展をやって、思った以上に売上が上がった。そういうトライアンドエラーの繰り返しです。
自分の持っているリソースに対して、自分が持っていないリソースを持っている人と繋がる。ドッグランという場所があって、犬がいてお客様がいて、それを撮れる私がいて、組み合わさった時に利益が生まれた。持っているリソースの組み合わせでお金が生まれるんです。起業したての人には実績も実力も大した機材もなかったりするけど、最初にファンになってくれる誰かがいる。誰かがポジティブなことを一言褒めてくれたら、それで頑張れるということは現実にはとても大きいと思います。
ーーー好きなものがあって、それ同士で繋がっていくのが一番大事だということですね。
私は好きなものこそお金になる可能性があると思っています。今の時代は距離が離れていても繋がれるし、全世界に自分のファンが20人いれば生きていけるんじゃないかとか、そういう時代ですよね。
ーーー自営だから良かったという部分と、自営だからこそ厳しかったという部分があると思うんですけど、経営者として、かつ障害者として良かったところを教えてください。
すべてにおいて好き勝手ができますよね。お店のハードウェアの作り、ルール、価格設定。全部自分で決められる。そして自分にできないこと、苦手なことを部下や取引先にやっていただくことができる。自分が頑張って2時間かかることを、他のスタッフに頼めば30分でもっとクオリティが高いものを出してくれる。苦手な部分をやっていただける人を周りに作っておくのはとても大事なことだと思いますね。
ーーー逆に自営だからこそ大変だったことは。
今まさにそうですね。売上が激減する中で、お金の責任が全部自分にかかってくる。サラリーマンであれば会社から給料がもらえるけど、自営は全部自分。何か起こったことが全部自分のことになるから嬉しいし、何かあったことが全部自分のことになるから大変だということです。
ーーーでこぼこがある方が自営として生きていくためにアドバイスするとしたら。
マネタイズに必要なものが何によって補われるのか、どこまであれば完成されるのかを認識して、それが全部揃うと確認できるのであれば、起業は可能なんですよ。自分の得意なことは何か、お客様と繋がるには何が必要かをしっかり確認してほしい。もう一つ言いたいのは、自分が得意だと認識していないことでも実はマネタイズできるということが意外にある。私も20代の時は写真がお金になるなんて思っていなかったのに、今それで生きている。試してみる、聞いてみるということはとても大事なことですね。
ーーー社会への貢献度は売上で測れるという考え方が印象的でした。
誤解を恐れずに言えば、社会の貢献度は売上や利益で測れるんです。お金を払った人がいる、サービスが欲しいと思った人がいる、それはすなわち社会貢献なんですよね。うちよりもっと売上を作っている会社は、言い換えればもっと社会貢献をしている。だからうちももっと人の役に立っていきたい、お客様に感動を届けていきたいと思っています。
ーーー高木さんのインタビューやここまでの対談の中で感じるのは、前向きな熱量というか、その原動力はどこにあるんだと思いますか。
好きを仕事にしているというのが一番の原動力じゃないでしょうか。電気の仕事をやっていた時はそんなに仕事に熱がなかったんですよ。父親が作ってきた会社の仕事は楽しくなかった。人間関係もうまくいかなかった。会社の人数がどんどん減っていく中で、知り合いの社長が自殺しているのを目の当たりにしたりもした。その中で、この仕事じゃなくて生きていけるのは幸せだと思えた。好きなことをやって頑張っていきたいと思え、新しい仕事を立ち上げていくことが許される環境だった。それが今の私を作っているのは間違いないですね。
ーーーもし起業する前に障害を負っていたらどうなっていたと思いますか。
まったくできていなかったでしょうね。想像できないです。お店ができてスタジオを立ち上げて1年くらいの段階で、最低限のレベルの準備はできていたんじゃないかと思います。障害に備えていたわけではまったくないんですけど、持っているリソースを有効活用して1円でも収益を上げるということ、言い換えれば、わずかでもお客様に喜んでいただけるようにするにはどうしたらいいかをずっと意識してきた。それが結果的に備えになっていたんですね。
ーーーいわゆる「強い障害者」、つまり障害者の中でもより健常者に近い立場にある方としての悩みや大変さがあるんじゃないかと思うんですが。
高次脳機能障害の当事者会もあるんですけど、半身麻痺のある方も多い中で、私のようにかなり健常者に近い障害だと、仲間ってなかなか思っていただけないような場違い感がなくもないんですよね。かといって健常者側のコミュニティにも所属しづらい。障害を告知すると気を使っていただけるけど、その結果ちょっと浮いてしまうこともある。
ーーー見えづらい障害だからこそ、わかってもらうためにどう伝えていますか。
脳に障害があって読み書きが苦手ですということを、必要に応じて言う。言うタイミングも測る。言わなくて済む時は言わないという生活をしていますね。書類をパンと渡されたら読めません、と言うと「バカにしてるのか」と思われるようなトラブルもあるので。
ーーー逆に、強い障害者だからこそできることは何だと思いますか。
障害があろうとなかろうと、世の中に対して価値を提供し続けられる存在でありたいと思っています。障害があって働きにくいところはある。そこは工夫しましょうと。努力という言葉よりも工夫という言葉が好きで、賢くやりましょうと。誰かと繋がることも一つかもしれない。助けを求めることもいいのかもしれない。結果として世の中に貢献して対価を得ていきましょうと、そんなふうに思いますね。
ーーー1月の火災について詳しくお聞かせいただけますか。
3階建てプラス屋上のこの建物で、2階と3階が焼けました。1階はほぼ焼け残っている状態です。最も集客していたドッグランやドッグカフェ、貸切ドッグラン、ドッグホテルも含めて完全に焼けてしまって今は営業できていない。1階のフォトスタジオとトリミングルームは早い時期から復活して営業再開しています。
ーーー復旧の状況はどうですか。
今日現在、火災保険がまだ降りてきていなくて、復旧するには数千万円かかる。もし建て替えたら1億円以上じゃないかというくらいのもので、18年間営業してきたけどそれだけの蓄えがなかったので着工できていない状況です。調査は進んでいるので保険金も出てくるだろうと思っていますが。
ーーー復旧後の展望を教えてください。
今まで通り、あるいは今まで以上のドッグラン、ドッグカフェを復活させたいですね。吹き抜けになっている部分を床にして、面積を増やして、ワンちゃんの幼稚園をやりたい。トリマーさんも雇用ではなく自営業者としてお互い対等な立場で仕事をしていて、そんな形で志を持っている方、若い方のスタートを応援していきたい。
スタジオドッグランの強みは、カメラマンが常駐しているワンちゃんのスタジオというのがまずなかなかないということ。それからエアコンが効いて貸切ができて駐車場もあるドッグランというのは、名古屋市内でも他にはなかなかないんじゃないかと思います。ここに来れば、ワンちゃんの笑顔も飼い主さんの笑顔も生まれる。そういう場所を取り戻したいですね。
編集後記
高木さんの話を通して一番印象に残ったのは、「得意なことだけで仕事が回るように組み立てていた」という言葉でした。それは障害に備えていたわけではなく、好きなことで食べていくために自然とそうなっていた。ところがその仕組みが、52歳で文字の読み書きを失った後もカメラマンとして仕事を続けられた理由になっていたんです。
ドッグランで撮った写真をオーナーに見せて「売れるよ」と言ってもらえた、あの一言がすべての始まりだったと高木さんは話します。リソースの組み合わせでお金が生まれるということ、最初のファンが一人いれば動き出せるということ。起業のアドバイスとしてはシンプルですが、高木さん自身がそれを20年実践してきた重みがあります。
「努力より工夫」という高木さんの言葉が好きです。障害があろうとなかろうと世の中に価値を提供し続けたいという姿勢は、火災で売上が激減し、精神的にも経済的にも過去最も苦しいという今この瞬間も変わっていません。写真は思い出の扉を開けるドアノブだという定義を持つ人が、そのドアノブを取り戻そうとしている。スタジオドッグランの復活を、心から応援しています。