神戸で就労移行支援事業所と自立訓練・生活訓練の事業所を運営するアイ・ワークスの田村さん。ゴルフ場勤務、アメリカ駐在、タイ焼き屋と、福祉とは無縁の経歴から障害福祉の世界に飛び込んだ背景には、障害のある娘さんの存在がありました。一般社会と福祉の「通訳」を自任する田村さんの話を、インタビューと対談でお届けします。

インタビュー

田村よしくにと申します。今年50歳ですね。兵庫県神戸市に住んでいます。出身も神戸です。大学卒なんですけど、大学にはほとんど行っていません。一応卒業だけはできたということです。学部は経営学科なんですが、もう忘れているくらいですね。

趣味はもうゴルフ一択かもしれないです。ゴルフを仕事にしていたこともあるし、ゴルフがあったから何とか過ごせたというのもあるので。結構メンタルのスポーツだと思っています。日本ではゴルフってハードルが高くて、おじさんとかお金持ちのイメージがあるんですけど、アメリカだとポピュラーなんです。もっとゴルフをポピュラーにしたいし、利用者さんにもゴルフをやっていただくというのはおすすめしています。

学生時代は活発な方で、中学まで野球をやっていました。22歳で卒業して、就活もせず27歳までフリーターです。28歳くらいで初めて正社員になって、神戸のちっちゃな会社で社長一人、僕一人みたいなところで。社長とうまくいっている時はよかったんですけど、うまくいかなくなって辞めました。その時初めて神戸を出て、東京で働き出しました。ブックオフで関東に4年、その後アメリカに駐在を3年。帰ってきた年がちょうど2011年、東日本大震災の年でした。

ちょうど日本に一時帰国している時に3月11日で、テレビで見て、もうアメリカに戻れないのかなくらいの話をしていたんですが無事戻れて。ただその時に子供が生まれたんです。双子が。当時双子のゼロ歳児を連れて関東勤務というのがなかなか難しくて、ブックオフを辞めて、次は神戸のゴルフ場に勤めました。プロのトーナメントもやるような有名なゴルフ場で、アメリカでのゴルフ経験もあったので支配人候補みたいな感じだったと思うんですけど、期待に応えられず。こんな性格なんで言いたいこと言っていたら経営者と対立になって、突然クビになったんです。

38か39の時ですね。子供もいましたからどうしようかとなりましたけど、色々調べているうちにタイ焼き屋を始めるんですよ。タイ焼きが好きとかまったくないんですけど、たまたまネットで障害者雇用を進めているタイ焼き屋というのがあったんです。実は生まれた時に娘に障害があったんですけど、ゴルフ場の時までは娘の障害のことは一切言っていなかったんです。それが一変して、娘の障害がわかったら今度は障害者のために何か仕事がしたいなと思うようになった。

福祉の経験はまったくないので、今のリタリコさんの前身のウイングルに履歴書を出したりしたんですけど、面接すらいけなかった。じゃあもう自分でやるかと。僕の中ではタイ焼き屋は福祉事業です。障害者を雇用するためにタイ焼きを始めたんですが、いざやってみたら大変で、自分の給料すらどうかというくらいで障害者雇用なんてする余裕もなかった。その時にいろんな方に相談している中で、ある方が障害者の就労支援の事業があると教えてくれたんです。僕が本当にしたかったのはタイ焼き屋じゃなくてそういう仕事なんだと。教えてもらったのが就労移行だったわけです。それで2017年の7月に就労移行を始めました。

今アイ・ワークスでは2つの事業所を運営しています。兵庫県明石市の西明石で就労移行支援事業所、こちら神戸三宮で自立訓練・生活訓練の事業所です。就労移行は、今現在就労ができていない方を就労できるようにサポートする事業所。自立訓練は、生活の根本のところを訓練する事業所です。iWORKSでは最長7.5年の支援ができます。最初の2年は生活訓練でリズムを整えたりコミュニケーションの基礎を訓練して、次の2年は就労移行で就労に向けた準備をして、その後最大3.5年の就労定着支援がある。合計7.5年です。

僕らはコース料理じゃないんですよ。決まったものが座って出てくるんじゃなくて、町の定食屋でいろんなメニューがあって、好きなのを取って食べてねというイメージですね。ご自身が何を不足していて、僕らが何をサポートできるかを一緒に考えながらやっていく。学校みたいに2年のプログラムが決まっているわけじゃなくて、半年の方もいるし1年の方もいる。使い方次第です。

一番嬉しいのは卒業の時ですね。卒業式みたいな簡単なものをするんですが、スタッフそれぞれに思い出がある。僕自身も過去の卒業生50人くらいの中で、1人だけどうしても泣いてしまった方がいます。その方はめちゃくちゃ苦労したし、僕ともめちゃくちゃ揉めた。辞めるとか辞めないとかさんざん揉めたけど、最終的にうまく卒業して今も無事に働かれています。泣くはずもなかったし我慢もしたんですけど、どうしても最後に泣いてしまった。そういう時が一番充実しているかなと思います。

株式会社として始めた時は、周りからいろいろ言われました。福祉の経験もない株式が来て、儲けに来たんだろうと。西明石に1年前にあった就労移行は1年で潰れたから、お前らも頑張れくらいのことを言われた。でもいろんな話をする中で、僕自身も娘に障害があって当事者なんですという話をして、少しずつわかっていただけたのかなと。

障害の「害」という字がありますよね。これを平仮名にするか漢字にするかで概念が分かれるんです。社会モデルと医療モデルという考え方があって、社会モデルは障害が社会の側にあるという考え方。だから漢字を使う。社会の方が害だからです。医療モデルは人の側にあるという考え方で、人が害じゃないから平仮名を使う。車椅子の人が生きにくいのは段差が悪いんであって、車椅子が悪いわけじゃない。発達障害で言えば、空気が読めないのは周りが「空気読め」と言うのが悪いのであって、本人が悪いわけじゃないという考え方もできる。障害者に優しい会社って、実は全員に優しい会社のはずなんです。

僕の座右の銘は人間万事塞翁が馬です。人って波があると思うので、いいと思ったことが実は悪いことの始まりだったり、悪いと思ったことがいいことの始まりだったりする。いいと思ったらちょっと振り返ったり、あかんと思ったら実はいいことを考えてみたり。そんなのが一番いいかもしれません。

対談 一般と福祉の通訳として

ーーー就労継続支援の事業所さんの課題として、利用者の獲得が難しい一方で、仕組み上どうしても利用者を囲い込むのが経営上一番いいという歪みがあるという話をよく聞きます。就労移行ではそのあたりはどうなんですか。

実際に、あるB型事業所さんには「うちのエースは出さない」と面と向かって言われたことがあります。作業で一番できる人が抜けたら中の作業が滞るからと。それは誰のためなんですかという話ですよね。仕組みがそうだと言われればその通りで、違法ではないけど。一方で就労移行は仕組み上ずっと囲っていられない。卒業してもらえばしてもらうほどアピールポイントになるので、逆にずっといてもらう方がマイナスなんです。

移行を選んだのはそもそもたまたまで、移行しか知らなかった。教えてもらったのが移行だったからやった。でも5、6年やってきて、やっぱり移行が良かったなと思うし、もう一回やるなら多分また移行をやります。それまでの仕事はBtoCの仕事が多かったので、今日来たお客さんが明日来るかどうかなんてわからない世界にいた。それを考えたら、2年も来てくれるんだと思いましたから。

ーーー特別支援学校との関係で、就労移行の認知が広がりにくいという問題があるんじゃないかと思うんですが。

支援学校の先生はB型のことはよくご存知です。でも移行のことは残念ながらあまりご存知じゃない。だから支援学校の先生が卒業後の進路を聞かれた時に、自然とB型を勧めることになる。先生に言われたらそうなりますよね。僕の印象では、学校の先生は一般の社会を知らない。学校の世界しか知らないから、一般の就労支援ってそもそもできるのかと僕は思っているので、専門家に任せていただきたいなと。

ただ、本当に大きいのは、勝手にその子の可能性を決めてしまっているということ。この子は一般無理だからと思っている親もいるし先生もいる。だからもうB型で十分だと。全員が就労移行を使えるということじゃないけど、何名かはトライしてみた方がいい人がいるはず。本音を言えば、就労移行というのは障害のない人も使った方がいいくらいだと思っています。手帳があって就労移行を使えるのはラッキーですよ、という話はしますね。

ーーーSNSを見ていると「就労移行とかどうでもいいから直接年金渡せ」という声が結構ありますよね。

この仕組みができたのはやっぱり日本の少子化が関係していると思っています。労働人口が減って税収が減っているから、女性も、まだ働ける高齢者も、障害者も、働ける人は何とか働いて税金を納めてねとできた仕組みなんです。発展途上国ではこんな仕組みすらない。

訓練を受けます、ほとんどの方が無料で使います。それって税金でしょう。税金のお世話になりたくないと言われる方もいるんですけど、僕はその時こう言います。もらいじゃないんです、国による投資ですと。あなたに2年投資して、その後2年以上のリターンがあると思うから投資するんですよと。国も儲かると思うからやっているわけで、儲からないと思ったらやらない方がいい。将来税を納めるためのベットがあるんだから、ずっとお金を出せというのは違う。国はお母さんじゃないんだからと。

ーーーアイ・ワークスさんでYouTubeチャンネルを続けてこられた思いについてお伺いしたいです。福祉の事業所が動画で発信することは、あまりよく思われないことも多いんじゃないかと。

2016年からYouTubeをやっていて、会社を始める前からやっていました。新しいもの好きで興味だけからスタートしたんですけど、コロナ前なんて特に「YouTubeとか何やってるの、遊んでるの」とめちゃくちゃ言われていました。でも、僕らが一番届けたい人って、家の中にいて社会との接点がネットしかない方もいらっしゃると思って。何かしらネットで発信していくことが必要だなと。

最初は何の反応もなかったんですけど、少しずつ反応が出てきて。予想もしていなかったんですが、県外からの問い合わせが結構来るんですよ。横浜、沖縄、滋賀、宮城とか。なんでうちを問い合わせたんですかと聞くと、YouTubeで見たと。沖縄の方に「沖縄にも実はありますよ」と話したら、「そんなのあるの知らなかった」と。沖縄の人がわざわざ神戸のうちに電話してくるわけですから、それだけ必要な人に届いていないんだなと改めて思いました。

ーーー動画の有用性について教えてください。

やっぱり圧倒的に伝わる情報量が文章とは違う。内容だけじゃなくて、雰囲気とか空気感も全部含めて伝わる。副次的な効果で言うと、求人にもかなり効いています。おかげさまで応募がめちゃくちゃ多いんですよ。面接する人は100%に近いくらい僕のことを知っている。動画を見て嫌な人は応募してこないし、来る人はある程度わかった上で来るので、選考もやりやすくなりました。集客もそうですけど、求人で困っている方にはぜひ動画をおすすめしたいですね。

ーーーYouTubeを始められたきっかけを改めてお聞かせください。

SNS的なことで広く伝えていかないといけないよねという話があって、その中でYouTubeというものがある、動画ができるらしいと。別にYouTubeがやりたかったわけじゃなくて、一つのツールとして、一つの手段としてたまたまYouTubeがあったということですね。TikTokもやっているし、インスタにも動画を上げたりしています。

ーーー半年くらいは何の反応もなくても続けないといけないということですよね。

動画だけやっていればうまくいくかというと、そんなことはない。こういう人に届けたいというのがあって、その人にどうアプローチするかという計画があって、その中に動画がある。再生回数が上がりましたと言ってきても、問い合わせは?と聞く。それは成功とは言わないよねと。僕らはYouTuberじゃないので。

僕らはポスティングもやるし、ご挨拶回りもするし、できることは全部やっている。一番印象に残っているのは、まったく同じチラシを6枚持って見学に来られた方がいたこと。行こうと思ったけど勇気が出なくて、6回目でやっと来られたんです。5回しか配らなかったら来ていただけなかった。伝えたことと伝わったことは違うし、伝わってから一歩踏み出すのにも勇気がいる。そこに対して「待ってるよ」と言い続けることの重要性を感じています。

編集後記

田村さんの話を聞いていると、この方は「通訳」なんだなと思います。一般の社会と福祉の世界をつなぐ通訳。27歳までフリーター、ブックオフ、アメリカ駐在、ゴルフ場、タイ焼き屋と、一見バラバラな経歴が全部つながって、福祉業界に入った時に「一般と福祉で言語が違う」と気づける人になっていた。

就労移行を「投資」と言い切る視点は、福祉一筋の方からはなかなか出てこないと思います。国がベットしてくれているんだからリターンを返しましょうという話は、冷たく聞こえるかもしれませんが、利用者さんを社会の一員として対等に見ているからこそ言える言葉だと感じました。コース料理じゃなくて町の定食屋だという表現も、決まったレールを歩かせるのではなく、その人に合ったものを一緒に探すという姿勢がよく出ています。

チラシを6枚持って見学に来た方の話が忘れられません。必要な人に届いていないという課題に対して、YouTube、ポスティング、SNSと手段を選ばずに発信し続けてきた田村さんだからこそ、6枚目のチラシでやっと一歩を踏み出してくれた方に出会えた。伝えたと伝わったは違う。伝わってから動くのにも勇気がいる。その間をつなぐのも、田村さんの「通訳」の仕事なのだと思います。